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長沢 優希  

長沢は制作を通して、素材の本質に注目し、新しい物の見せ方、そして新しい世界の見え方を求めている。「言いようのない寂しさや生き辛さを感じていた幼少期に、家にあった新聞紙を丸めて遊んだり日常の中でおもしろいものや美しいものを見つけたりすることが自身にとって救いだった。」と制作の原点について本人は語る。子供にしてみれば、どのような物でも初めて触れると興味深く、毎日新しい発見ができる。長沢は、日常生活の中で私たちを取り囲む様々な物質を、初めて出会ったかのように見つめ、思いもよらない行為を加えることの繰り返しを通じて作品にする。 

長沢にとって幼少期に新聞紙を丸める行為は癒しであり、その後学生時代に素材としての面白さを再発見し、作品に用いることで、その面白さを周りの人と共有したいと考えた。ただし、「新聞紙」には用途と意味が強く結び付けられており、「社会」と「情報」という概念に鑑賞者は振り回され、「世間一般に共通する情報や社会を取り扱っていると思われ、実際に起こった災害や、社会問題を取り上げているのかと質問を受けたこともある」と長沢はいう。 

この鑑賞者の反応から、長沢は、世の中の物には決まりきった用途や意味があることに気づく。決まりきった用途の背後にある素材そのものにスポットライトを与えたい気持ちが、「paradigm」シリーズの始まりである。素材を、決まりきった形から解放し、常識的なParadigm(パラダイム)を崩し、新しい世界の見え方を提示する作品となる。本展に長沢が選んだ素材はクッションビーズである。普段は枕の中に潜むスチロールビーズには、人は目もくれないし、意識もしない。あえて隠れた素材を取り出して光を当てることによって、世界の常識のあり方を崩す表現が生まれる。 

長沢は、作品制作と他者の作品への反応から、自分と他者は、異なる感覚を持つことに気づく。人の内面にある感覚・知覚は、美学や哲学の分野で「クオリア(英: qualia〈複数形〉、quale〈単数形〉)と呼ばれ、「感覚質」と訳されることもある。たとえば、「リンゴの赤い感じ」と言われたとしたら、それぞれの頭にそれぞれのリンゴ像が思い浮かぶ。人それぞれの感覚があることは面白いことであり、同時に、自分の内面に決して共感できない部分があることに寂しさも感じる、と長沢は言う。 

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